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こんにちは。DIGITAL DETOX JAPAN理事のもりしたです。
自分が小さかった頃に比べ、夏が確実に暑く、長くなっていますね。確実に気候変動の波を感じています。地球はこの先どうなるのだろう。僕の子どもたちが大人になるとき、夏はいったい何度になっているのでしょうか。
毒について
さて、今回は少し自分とそしてこの協会のこれまでを簡単に振り返りつつ、僕がデジタルデトックス・アドバイザーさんの方々としていきたいことについて、少し書きたいと思います。
デジタルデトックス・アドバイザー養成講座で学べることや資格認定後にできることについてはぜひ募集要項(こちら)をご覧いただきたいのですが、ここでは、もう少しパーソナルなことも含めて、僕の問題意識についても共有できればと思っています。なんで、こんな活動をやっているかという点についてです。いわゆる「WHY」の部分について、でしょうか。
と、その前に。まず「デジタルデトックス」という言葉そのものについてです。この言葉って本当に誤解を与えやすい言葉で、活動当初は「怪しい!」「なんかの新たな利権かよ」と訝しげな目で見られたこともありました。
デトックス、って「解毒」ですもんね。デジタルは毒や!って言っているわけです。だから、デジタルを駆使して、しかもその便利さや楽しさを享受している人たちからすれば、ちょっと過激な表現にも聞こえるかもしれません。
しかし、僕自身はデジタルを目の敵にしているわけではありません。むしろ巷のメディアが「SNSはドラッグ」とか「スマホ中毒」とか、かなり危険な言葉を使って煽りのようなコンテンツをばら撒いていることにはかなり違和感を覚えます。
毒について少し話しましょう。毒の危険度はしばしばLD(半数致死量)という概念が使われます。毒性の強いもの(テトロドトキシンとかボツリヌストキシン)の致死量は少なく、少量で人を死に至らしめます。ただ、水にも致死量があります。成人の場合は6リットルを一度に摂取すると、水中毒に陥ります。
ちなみにこの文章↑を書くためにいろんな毒やその致死量をググったので、「コイツは何をしでかす気だ」と、私はいまごろGoogleにマークされていることと思います。
バランスについて
そんなリスクを冒してまで伝えたかったのは、「何事もバランスやねん」ということです。英語では「It’s all about Balance」、日本語でも「過ぎたるは及ばざるが如し」なんて言葉がありますね。QUEENのフレディは「Too much love will kill you」と綴りました。愛にも致死量があるのだと思います。おそらく…。
ごくごく当たり前の話をしていますが、何事も過ぎれば毒でそうでなければ健康や心の平穏をもたらしてくれる。それはスマホやそれに付随するサービスも同じことです。実際、最近の研究を見てみると、SNSも利用時間と共にストレスは確かに上がりますが、満足度も上がるとがわかっています。
つまり、楽しさとストレスはトレードオフの関係なんです。それはSNSもお酒も同じですね。
そのバランスは個人によって違います。ですから何時間以内にスマホ利用を収めるべき…といった議論は少々ナンセンスに思います。もちろん、目安として知っておいても良いと思いますが、それ以上に大事なのは「自分にとって過不足がないかどうか」です。
ただ一方で、そのバランスを図るのは非常に難しい。ここまでデジタルが基盤となった社会に生きている私たちにとっては、デジタルは使うしかないものですし、実際ないとめっちゃ不便です。それに、特に日本も含め資本主義の社会では「便利信仰」が根強いものです。「便利で楽しいことの何が悪いの」と。うん、それはおっしゃる通りです。
ただ、そうしたなかで何も疑いを持たずに生きていると、どうしても見落とすことも出てきます。知らずのうちに脳も疲れを感じます。ただ、それすら気が付かない。そして、便利なものに囲まれて生きているはずなのに、なんで自分は満たされないんだろう?と立ち尽くしてしまう。
「まぁこんなもん」について
人の知性は、自分の在り方や自分を取り囲む環境のあり方に疑問を投げかけられることにある、と常々僕は考えます。「自分の生き方はこれでいいの?」「社会はこれを当たり前と是認しているけど、本当に良いの?」と。
ただ、ずっと同じ環境に生きていて、周りも同じような行動パターンの人たちだと、どうしてもこういう問いかけは思い浮かばなくなるものです。「まぁこんなもんだよね」と“オトナ”を着飾っているうちに、「こんなもん」以外の生き方について想像が膨らまなくなる。「まぁ、こんなもん」の世界でしか生きられなくなる。
ですので、大事なのは「自分がいまいる環境を抜け出す」ことです。自分の決意を新たにするとか、そんなことをするよりも遥かにシンプルに生き方が変わります。人は環境に適応して、環境と共に考え、動くようにプログラムされている生き物ですから。
デジタルまみれの社会に生きるいま、デジタルがない時間に身を置くだけでも環境の移動はできます。もちろん、ずっと抜け出す必要はありません。デジタルだらけの便利な社会に生きつつも、ちょっと不便な時間にも身を投じてみる。その行き来が大事だということを言いたいのです。
東大と京大で必読書と謳われる『暇と退屈の倫理学』では「人間の特徴は環世界を行き来できることだ」と書かれていますが、まさにそれに通じます。というか、先に書いたことはこの本の受け売りです。
たとえるなら、サウナで熱い部屋と冷たい水風呂を行き来し、その中間地点(外気浴)になったときに、ととのいますよね。なんか、デジタルデトックスもこんな感じだと思うのです。
デジタルがある世界とそうじゃない世界を行き来し、ととのっていく。
休息とアクティビズムについて
ここまで書いてみて、デジタルデトックスがそんなにストイックなものではなく、サウナのように気軽にできることだというのはなんとなく伝わったかなと思います。
デジタルデトックスをすると、情報を捌き続けたり、いらない情報をシャットアウトすることに奔走していた脳は休まります。そして、本来人が持てる注意関心が外部にドバドバ流れていますが、それが自分自身や周りの大切な人に注げるようになります。
関心持ってもらえると嬉しいじゃないですか、人って。自分も同じだと思います。自分が自分に関心を持てば、自分も喜ぶんだと思います。そして、もっと心の声が届いてくるようになる。「これしたいんだー」とか「あれはあんまりしたくないんだよねー。だって向いてないじゃん」とか。そういう声が少しずつ聞こえるようになってくるものです。
そして、実際にオフ状態になってみてオンに戻ると…「このアプリにこんなに時間を使わなくてもいいか」とか、必要なデジタル時間の弁別もしやすくなります。必然的に生産性も幸福度も高まりますよね。余計なことをしなくなるから。
だから僕はデジタルデトックスをするにつれて、デジタルライフでの幸福度も上がりました。たとえば、いまはSNSを使うのは月の半分。残り半分は完全にアンインストールして何もみないし、何も投稿しない。でも自分がSNSの便利さを享受するのはこれで充分だってわかったんです(これを僕は「SNS二拠点生活」と名付けています)。無論、デジタルに触れないときは、目の前のことに集中しているのでそこの満足度も上がります。
デジタルデトックスは、新しい休み方です──と最近は講演の時にお伝えをしています。良い休息は人生を豊かにしてくれますし、豊かな人生を送れる人が増えれば社会も豊かになっていくはずです。
現状、世界の報道を見渡すと、いろいろな問題が蔓延っています。でも、僕はそれに悲観をしたくありません。悲観をして、ストレスが溜まって、プレッシャーのかかった状態で動き回るよりは、立ち止まり、英気を養い、自分がするべきことを淡々と続けたい。
多くの人が、疲れているなと感じます。そして、暇を必死に埋めようとするがゆえ、デジタルの効率化で生まれた時間をまたデジタルに吸収されています。
疲れているときにする決断も行動もろくなことにならないものです。ですから、まずは一緒に休みませんかと。そんなことをデジタルデトックスを通して僕は伝えています。休息が社会を変えるアクティビズムになるとも信じています。
暇について
世界大恐慌の時代、ケインズやラッセルといった学者たちが余暇社会の重要性を訴えました。産業が発達し、人に代替するテクノロジーが生まれてきたのだから、人はいよいよ余暇の時間を有意義に使いこなせるようになると。だからそれに向けたシフトをすべきだと。いまから100年以上も前の話です。
昨今、AIが登場し、いよいよ人は働かなくなるのか…なんて議論も交わされていますが、このままいけばおそらくAIが浸透しても、あまり現状に変わりない未来が来るのではないかなと思います。
デジタルデトックスとは、意図的に(戦略的に)暇を作り出す行為だと思います。資本主義のなかでは価値のない宙ぶらりん、ナッシング、価値のない不便な時間。
でも、人間らしさとか自分らしさみたいなものはここに隠れている気がします。というか、ここに隠れているんです。そしてデジタルデトックス中の気づきを持っていつもの世界に戻り、またそこで良い方向に、良い方向にと動いていく。なんか、この連鎖で世界が良くならないかなーなんてことを思っています。
デジタルデトックスを体験されて、ふと涙が出てくるって体験をされる方がいらっしゃいます。抑圧していた感情が出てきたとか、本当にやりたいことに気がついたとか、単に目の前の風景に感動したとか。すごく素敵なことだなって思います。
これからの未来、過去と同じくやりたくない仕事や人間関係に忙殺され、おしゃぶりのように与えられたスマホでやり過ごすのか。自分にエネルギーを向け、小さな変革を起こしていくのか。どちらを選ぶのか、結構問われている気がします。
僕としては、生き生きとした人たちに囲まれながら暮らしたいなと思います。ですから、まずは一緒に現代から逃避して、休み、対話をしながら、少しずつ自分や社会を変えていく力を養っていきませんか?
今後について
今年に入り、急速に講演の依頼などが増え、先日も500人以上を対象にウェビナーでデジタルデトックスについて話をしました。アドバイザーの方も100名を超え、開催している7-DAY オープンチャットも参加者の方同士のディスカッションが盛り上がっています。元々は自分の体調不良が原因でデジタルデトックスを調べたのがきっかけだったので、思えば遠くまで来ました。
とはいえ、ここから先は自分だけでは行けませんし、より多くの仲間が必要です。というわけで、協会は今後を担ってくれる方もいつでも歓迎しています。
イベントをやったり、商品企画をやったり、キャンプしながらただ語らったり、あらためて素敵なコミュニティができたなと、正直僕は満足しています笑
あとは、さらにこの活動を前に進めてくださる方々にバトンを渡していければと。というわけで、長々と書きましたが、ぜひ興味のある方は気軽にご連絡ください。皆さんにドアをノックしてもらえることを心待ちに。