目次
スマホの電源を切ることの難しさ
深センでなくなったiPhone
実は今回の滞在中で大きなトラブルがありました。
深センの商業ビルに入ったときのこと。トイレに入りかがんだ瞬間にiPhoneがトイレに落下。なんとそのまま流れていってしまったのです。
トイレに吸い込まれていくiPhoneを見て、頭が真っ白になったのを今でも鮮明に覚えています。
結局、その日のうちは携帯電話なしで過ごしました。
家族や友達と連絡をどうやって取ろう?
地図は?
カメラも使えない…
音楽も聴けない…
海外にいると、その不安は倍増します。
翻訳アプリが使えない…
万一の時の国際電話が使えない…
執筆のメモが取れない…
あの黒い物体が離れただけで、恐ろしい無力感に襲われました。と、同時にいかに自分がスマホに依存をしていたのかを身をもって感じることになりました。
ここまでスマホが自分の生活を管理していることに気がついたのです。Googleカレンダーがなければ来週の原稿締め切りすら分からないのですから。
また、海外でもどこか観光地に行く際は、すでに行ったことがある人が書いたブログをチェックしていました。どんなにマイナーな観光地でも、必ず行っている人がいるものです。丁寧に行き方や注意点まで紹介していることに驚きました。
もちろん、それらの情報が異国の地で初めての場所に行く自分にとって大きな助けになったことは間違いありません。日本語も英語も通じない場所で、自分を救ってくれるのはスマホだけなのです。
と、同時に考えてもしまうのです。
「これは本当に旅なのか?」と。
スマホをなくしたショックと安堵感
無事に日本に帰国した僕はある決断に迫られました。なくなったiPhoneを新たに買い直すのか。ガラケーに逆行するのか。それとも、何も持たないのか。
なぜ、僕はまたスマホを持つことに大きな抵抗を感じているのでしょうか。
それは、iPhoneがIT都市のビルの一角でなくなった際に、ショックと同時になぜか「ほっとした」気持ちにもなったからです。
「もう海外にいながら、日本からの連絡を逐一チェックする必要はない。」
「スマホでカメラを撮らなくても、自分でぼーっと景色を眺めていればいい。」
海外にいながらも、どこか心ここにあらずな状態にいた自分に嫌悪感を抱いていたのでしょう。また、スマホがないことで極度の不安に陥る自分にも嫌気がさしていたことも事実です。
しかしながら、日本だけでなく、深センでも香港でもデジタルデバイスは人々の生活のプラットフォームになっています。
スマホがなければ、深センでは食事のための支払いもできず、香港では出会った人のSNSに友達申請すらできません。香港のハロウィンパーティで出会った人と仲良くなると、決まり文句は「WeChatやInstagramってやってる?」でした。
ロシアでも、モンゴルでも若い人と話すと同じことを聞かれました。
僕を含め若い世代(デジタルネイティブ)は、すでにスマホによって世界の定義が変わりつつあります。国境を超えた人たちが繋がれ、少しずつ統合に向かっているようにも感じます。
しかし、ある意味ではそれは「スマホを使わない人」との分断を生みだすことにもなります。
「若い人は何を考えているか分からない。これは昔からそうかもしれないがね。ただ、今じゃ何をやっているかすらも分からない。彼らはスマホの世界にいるからね。」
ロシアで50歳ほどの社長に話を伺ったとき、彼はこう話していました。
SNSでのいじめ、炎上。リベンジポルノ。そしてデジタル社会への依存。ネット上で起こる多くの問題から考えれば、若い世代は自ら大きなリスクをかけて、便利な生活を送り、そして、誰かと繋がろうとしているのも事実なのです。
適応か、それとも依存か
スマホ依存は脱却可能か
深センと香港の旅を通して…、そして、iPhoneを失った体験から、いかに世界がデジタルデバイスの存在を前提に広がっているかを痛感しました。
スマホの電源を切って、自分だけの時間を持つ。こうした時間をたまには持つことは大切だと分かっていても、すでにそれは難しくなりつつあることも事実です。
スマホを置くことで自分が便利な生活を失うことへの恐怖があること。(あるいはSNSで築いた自分の城を離れる恐怖)
そして、マーケッターからの誘惑に勝つ必要があるためです。
彼らはあらゆる手を駆使して人々の手をスマホに向かわせようとしています。
中国ではすでにネット依存症者向けの強制施設が設立されていますが、BBCが「体罰と思われる外傷で10代の若者が入居後2日で死亡した」と報道し、世間に大きな衝撃を与えました。
ネット依存はすでにWHOによって「疾患」として認められており、その高い依存性はアルコールやニコチンとも比較されています。
しかし、普段の生活からデジタル依存を防ぎながら生きるには多くの障壁があります。スマホ依存という言葉は知っていても具体的にどうしたら良いか分からないという声も多く聞かれます。
インターネットを基盤とするITの発達は人々の生活に便利さと、豊かさをもたらしました。そのことについて、僕自身も何の異論もありません。
しかし、ITを中心とした生活に適応しようとするあまり、依存状態になってしまっている人が増えているのが現状ではないでしょうか。
ネット依存が「病気」であるとすれば、健康なうちに行える予防策はないのでしょうか。
その答えは、デバイスやサービスそのものが開発された場所にあるのかもしれません。
ITの聖地シリコンバレーによるデジタル依存対策
世界的に増えているネット依存の問題を受け、シリコンバレーはスマホ依存防止のために対策を打ち出しています。
スマホ依存への懸念そのものは2012年ごろから示されていました。しかし、最近になりデバイスやサービス開発などに携わってきた人たちの一部が、「心理学的な効果を利用してユーザーがスマホを使用するようにデザインをしてきた」ということを認めています。
そして、本格的なスマホ依存対策を打ち出すべく、元googleの社員らが「Center for Humane Technology」を2013年に設立。公式サイトで提唱されている「4つのステップ」を主軸に、デバイスへの過度な依存を防ぐための取り組みを続けています。
*メインページにある一文「Realigning technology with humanity’s best benefits」は「本当に人のためになるテクノロジーを再び」といった意味に。
こうした流れを受けてか、iPhoneのios 12ではiphoneを使わない「休止時間の設定」などができる「スクリーンタイム」機能を追加。
日本で11月に発売されるGoogle ピクセル3にも、アプリの使用時間を表示してくれる「Digital Wellbeing(デジタルウェルビーイング)」という機能が付いています。
僕が帰国後に新しく購入したのはこの、Google ピクセル3です。スマホを手放すことも考えましたが、仕事やプライベートでの便利さを考えるとそれは難しかったというのが結論です。
その代わり、自分がどのアプリをどれだけ使用しているのか。そして、スマホ自体をどれだけ触っているのかをチェックするためにこの機種を選びました。
「幸福」の対訳として使われることの多い「ウェルビーイング(well being)」。
シリコンバレーのIT大手企業が主導する「スマホを使いつつも、心身ともに健康な状態を保つための取り組み」には期待したいところです。
必要なのはユーザーの努力と知識なのか?
社会に求められる「デジタルウェルビーイング」の推進
デジタルデトックスジャパンの一員として、やはり自然のなかでデバイスから離れて「OFF」の時間をつくることは心身の健康のためにも重要だと考えています。
しかしながら、普段の生活においてもできるだけデジタルデバイスの世界に浸りきりになることなく過ごすためには、ユーザーの努力や知識(ITリテラシー)だけでは不十分です。メーカーやマーケッターの倫理観も問われるべきでしょう。
デバイスやサービスそのものを提供する彼らがデジタル依存に考慮しない限り、いちユーザーとしてデバイスを使う時間をコントロールするのは難しいものです。あまりに依存性が高いものを彼らは作り出してきたのですから。
同時に政府や企業の取り組みも必要です。ドイツでは勤務時間以外に業務連絡をとることを法律で禁止しています。(実は日本でも違法とされています。)
企業や国によるデジタル依存防止への対策なくして、自らの意思でスマホを手放すことは非常にハードルが高いのです。
終業後も上司から送られ続けるメッセージをよそに若手社員がスマホの電源をOFFにするなんて、果たしてできるのでしょうか?
個人のデジタルデトックスを応援する社会づくりを
企業や社会レベルで「デジタル社会における人々の幸福」を考えるのがデジタルウェルビーイングといえるでしょう。
個人レベルでは、寝る時にスマホを寝室に持ち込まないなど「自分でできる」デジタルデトックスを。
企業や行政レベルでは、個人のデジタルデトックスを支援するデジタルウェルビーイングの推進を。
この両輪があってこそ、デジタルデバイスとの共存が可能になるのではないかと考えています。
今回訪れた深センと香港ではスマホ依存から抜け出すための明確な答えを見つけることはできませんでした。しかし、デジタルウェルビーイングについては今後も取材を続けていきたいと考えています。
次に訪れるのはアメリカとヨーロッパ諸国。日本よりも進んだIT先進国であれば、そこにはまた違う問題や解決策があるに違いありません。
引き続き、【DIGITAL WORLD紀行】にて情報提供を行なっていきたいと思います。