「ぼうっとする」と聞くと、なんとなく「退屈」「怠け者」などのイメージが頭に浮かぶのではないでしょうか。

しかし、実は「ぼうっとする」ことはわたしたちにとってとても大切で、デジタルデトックスの実践という観点からみても有意義な時間です。その重要性や現代社会での「ぼうっと」しづらさについて紹介します。

「ぼうっと」することは悪いこと?

「何ぼうっとしているんだよ!」と親や先生に言われた経験を多くの人が持っているのではないでしょうか。筆者もサッカー部在籍中に何度か注意されたことがあります。ただ考えごとをしていたのか、練習がキツくて不意に注意力が切れた瞬間だったか定かではないですが。少なくとも言われた時は「やばい、怒られた」と思ったはずです。

近年、NHK番組『チコちゃんに叱られる!』が人気を博しています。2018年からスタートした同番組は、5歳の女の子チコちゃんの素朴な疑問をきっかけに、ものごとの意味や由来を学ぶ教養バラエティです。チコちゃんの問いに答えることができないと、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と怒られるオチが待っているのが人気のポイントなのでしょう。当たり前に消費しているモノやサービスについて、改めて考えるきっかけをくれるという点で私も学ばせてもらっています。

ここで先の筆者の実体験とチコちゃんを比べてみましょう。共通していることは、「ぼうっとする」=マイナスのイメージがあるということです。忙しいことが美学とされている日本では「ぼうっと」することは「怠け者」「サボり」の象徴なのかもしれません。特に職場においては、周りの視線が気になるあまり無駄にキーボードを叩いて「仕事してますアピール」するシーンが散見されないでしょうか。

デフォルト・モードネット・ワークの必要性

この負のイメージを払拭するように近年、「ぼうっと」することは脳にとって大切な時間ということが研究によって明らかになってきました。「ぼうっと」することは脳の機能「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」と呼ばれています。

従来、何もしていない時に脳は休んでいると考えられていましたが、情報や記憶の整理が行われていることがわかってきました。アリゾナ大学で認知・神経システムを専攻するジェシカ・アンドリュース=ハンナ准教授は、DMNが内的思考において重要な役割を担っていると指摘しています。

人は「ぼうっと」しているときに過去の出来事を振り返ったり、将来について考えたりすることで、自己理解を深めたり他者との共感、社会的な相互作用を可能にしています。また、他の研究ではDMNが想像力や洞察力に作用し、新たなアイディアが生まれやすくなる可能性があるともしています。

以上を踏まえると、「ぼうっとする」ことは脳にとってとても大切な時間だということが理解できると思います。

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「ぼうっと」させてくれない現代社会

「ぼーっと」することは自分だけでなく、社会にとっても不可欠な要素です。しかし、現代社会はわたしたちに息をつくタイミングをなかなか与えてくれません。その理由はどこにあるのでしょうか。いくつかの原因が考えられそうです。

言葉につきまとうマイナスイメージ

冒頭で示した通り、「ぼうっとする」ことは怠けることを連想させます。デジタル大辞泉で単語の意味を調べてみると、「意識が正常でなく、ぼんやりしているさま」とあります。また、類語の「ぼんやり」は「元気がなく、気持ちが集中しないさま。 気がきかず、間が抜けているさま」と集中力のなさを表現しています。少なくとも、プラスのイメージがあるとは言い難いです。

これらの言葉が持つ意味はわたしたちの行動にどう影響するでしょう。多くの人は「怠け者」のレッテルを貼られることを恐れ、常に集中する、あるいはそのフリをすることを強いられるのではないでしょうか。

スマートフォンやデジタル機器によって、人々は常に情報や仕事にアクセスできる状態にあります。これによって休息や余暇の時間も仕事や情報収集の一部となり、リラックスする機会が奪われてしまいます。結果として、心の余裕が失われ、昨今問題となっているバーンアウト(燃え尽き症候群)が進行する可能性があります。

アテンション・エコノミー

「ぼうっと」が集中力のない状態を指すのであれば、わたしたちの集中力はどこに注がれているのでしょうか。その1つとしてスマホなどのデジタル機器が挙げられます。特にそれらから発せられる通知は、現代で主流となったアテンション・エコノミーの中心的役割を担っています。アテンション・エコノミーとは、人々の注目や関心が経済的価値・重要性を持つという概念です。

通知やSNS上の広告を通じて利用者の注意・関心をひきつけて購買へとつなげることで、メーカーや広告企業は利益をあげています。わたしたちの検索履歴や趣味嗜好などの情報はオンラインを通じてテックカンパニーに収集・最適化され、あなたの集中を邪魔する「通知」という形で返ってきます。自分の好みを熟知したうえでオススメしてくるので、これに抗うのは至難の業といえるでしょう。

まずは不要な通知をオフにして少しでも「ぼうっと」できる時間を確保しましょう。

効率至上主義

コスパ、タイパなどの効率を重視する言葉が溢れており、ビジネスだけでなく個人の生活単位にまで浸透しています。貴重な時間やお金を効率的に使うことは至極合理的な考えです。しかし、すべてのものごとを効率性のみで考えるとどうなるでしょうか。

 

「移動時間がもったいないからオーディオブックを聴きながらSNSをチェックする」

「暇な時間が無価値に思えて何かしないと気が済まない」

 

効率至上主義は時間の価値を高める一方で、マルチタスキングを常態化させたり、何もしない時間が非効率に感じてしまいます。哲学者の谷川嘉浩氏は著書『スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険』において、「わたしたちは浮いた時間を孤独につながるものとして用いず、別の様々なマルチタスクで埋めてばかりいる」と指摘しています。いくら便利なサービスなどで時間を節約しても新たなタスクで埋め尽くされていては、自分と向き合ったり休むことはできません。

デフォルト・モード・ネットワークの実践

「ぼうっとする」暇を与えない現代ではどう生きていけばいいのでしょうか。脳にとって大切な時間を確保するためのキーワードが西暦1000年頃の中国にあります。詩人である欧陽脩(おうようしゅう)は良い考えが浮かぶ場所を三上(さんじょう)と呼びました。三つの上とは以下の通りです。

 

馬上=現代でいえば移動中(電車や車など)

枕上(ちんじょう)=寝室

厠上(しじょう)=トイレ

 

本来、これらの場所は何かに集中したり情報をインプットすることはなく、自然とぼんやりする時間が確保されていました。しかし、スマホが身体の一部になったような現代では小さな隙間時間ですらSNSや動画によって埋められてしまっています。

先日、日本大相撲夏場所で活躍したモンゴル出身力士の霧馬山が大関に昇進しました。私自身は今まで相撲に興味は一切ありませんでしたが、テレビで定期的に観るようになってからその面白さが少しは分かるようになり、今までとばしていた新聞の相撲記事も読むようになりました。そんなとき、東京新聞の記事で霧馬山がまさに三上のうちの馬上についてコメントしていました。以下転載

 

「最高ですよ。モンゴル人は馬に乗るのが一番大事。走っているだけで嫌なことがあっても忘れますから」

 

日本で日常的に乗馬するする人は限られているでしょうが、人それぞれ自分が心を落ち着かせることができる場所を持っていると思います。行きつけのカフェ、お気に入りのキャンプ地など。どこでもいいので「ぼうっと」できる場所を探してみましょう。そしてその場所にいるときくらいはスマホの利用を控え、思う存分「ぼうっと」しましょう!これも立派なデジタルデトックスです。

 

落ち着きを取り戻す

ここまでの記事で「ぼうっとする」ことに対するイメージが変わったという人がいてくれれば嬉しい限りです。私自身、以前は毎日朝4時に起きて読書や運動したり、休みの日は常に活動していました。その頃の感情は「常に何かを吸収しないと気が済まない」といった具合でした。

しかし、あえて「ぼうっとする」時間を挟んでみると自分の感情を分析できるようになったり、子どもに優しく接することができると分かりました。みなさんも自分なりの「ぼうっと」タイムで新しい気づきをみつけましょう!

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