大量の情報に晒されるリスクを考える

コロナ禍、そして、ロシアによるウクライナ侵攻。いま、これらを報じるニュースが連日のようにテレビや新聞、そしてインターネット上を埋め尽くしています。

そんななかで、「不安を感じるニュースばかりで疲れてしまった」と感じている方もいらっしゃるかもしれません。私もその1人です。

私はメディアの編集者として働いていることもあり、情報を浴び続けることには細心の注意を払っているつもりでした。しかし、終わりの見えないパンデミックと戦争を伝えるニュースはいつのまにか、人を疲弊させてしまうものです。

今日お伝えするのは、ニュースに疲れてしまったと気づいたら、どうするべきか、その方法です。そして、無意識のうちに大量の情報を“被ばく”することにどんなリスクがあるのかについても、解説したいと思っています。

「自分は何も問題ないよ」という方もぜひ読んでみてください。意外なほど、自分自身に、そして他人にも影響を与えていることに気が付かれるかもしれません。

いま触れるべき「一冊」

結論から話しましょう。ニュースから少しのあいだ離れてみてください。この記事で定義するニュースとは「時事問題を伝える短くて細切れな情報」のことです。

新型コロナウイルスの今日の感染者数や、どこかの国の首脳の発言、ある軍がある国のどこを陥落させた……。これらの国内外で起きるできごとの報道がニュースです。

私が、この記事を書こうと思ったきっかけに『ニュースダイエット』(サンマーク出版)という本があります。著者のロルフ・ドベリは自身もニュース中毒だったと明かしていますが、いまはニュースにほぼ触れない生活を送っているそうです。この本を要約しながら、いま「ニュースとどう付き合うべきか」について考えてみましょう。

さて、彼はこの本のなかで徹底的にニュースなるものを批判しています。ニュースに触れるのは時間と労力の無駄であり、人に無力感を覚えさせ、かといって個々の生活を幸せに有意義にするものでもない、と。

その主張を裏付けるべく、さまざまなリサーチが紹介されています。

ニュースの対極にある情報とは?

誤解がないように付け加えると、彼は「一切の情報を断て」とは言っていませんし、それは私が伝えようとするところでもありません。ドベリはニュースの対極にあるものとして、次のような情報は有益であると述べています。

  • 新聞や雑誌の長文記事や特集
  • エッセイ
  • ルポルタージュなどのドキュメンタリー

これらの情報には綿密な調査や背景(物事が起きた理由)の考察も潤沢に含まれています。ただ、こういった栄養価の高い情報もニュースの洪水に紛れていて、判別が非常に難しいとも彼は付け加えています。

「競馬予想の実験」からわかること

「おいおい。でもニュースをチェックするなんて常識じゃないか。ニュースなしに判断できないことだってあるだろう!」という反論には、こう書かれています──情報量が多いほど、人は自信過剰に陥りやすくなる。

非常に面白い研究が著書内にあったので、ご紹介します。オレゴン大学のポール・スロヴィック心理学教授による「競馬予想の実験」です。

競馬の結果を予想する参加者に、馬についての情報を提供し、徐々に情報量を増やした。彼らには「どの馬が勝つと思うか」という予想に加え、「自分の予想にどれくらい自信があるか」という質問にも答えてもらった。

 

結果、予想の的中率は与えられる馬の情報量に比例しなかった。だが、情報量が多いほど、予想する者の「自信度」は高まる傾向にあった(著書96p. 参照)。

自らの専門的知見がなければ、毎日大量の“事実のシャワー”を浴びたところで、身の回りの世界を見る目が養われない、それどころか、かえって決断の質は衰える。要は、ただのわかった気になってしまう危険性があるのですね。

コロナ禍になって、医学的知見を持たない一般人(あるいは著名人までも)が、ワクチンや感染対策など極めて専門的な分野にまで意見することが増えました。ウクライナ危機に関しても同様です。

個人的にこれは懸念すべき傾向だと思っています。言論の自由はあれど、その情報が正しいかどうかは誰も保証してくれないのですから。

バフェットの金言「能力の輪」

この本の鍵となるキーワードに「能力の輪」があります。言わずと知れた投資の神様、ウォーレン・バフェットの言葉です。

ドベリは「能力の輪」の教えにならって「自分の能力の輪の内側にあることだけに集中せよ」と説きます。自分が専門領域とする事柄のニュースであれば、すでに背景となる知識もあるため、自分なりの解釈や論考を生み出せるからです。

そこであるエピソードを思い出しました。古物の鑑定士は、見習い中に「本物をひたすら眺める」ことで審美眼を養うと聞きました。すると、いきなり偽物が目の前に現れたときに強烈な違和感を覚えると。

鑑定士の例えの通り、自分のセンサーが働かない「能力の輪の外」にあるニュースは良し悪し(あるいは事実かフェイクか)の判別が難しいのかもしれません。

頭の中にいる「小さな独裁者」

そして、何より情報を浴び続けることそのものが、脳を恐ろしく疲弊させます。特に意思決定や感情のコントロールを司る前頭前野と呼ばれる部位が、過労状態に陥ってしまうのです。

寝室でもトイレでも、食事の場でもスマホで情報を取り込み続けるのはこうした理由からもおすすめできません。

どうするべきか。能力の輪の外にある情報に関しては「鑑定士が吟味したもの」を選ぶのです。

ここでいう鑑定士とは、綿密な取材を重ねて記事を書くジャーナリストたちです。ドベリは信頼に足るメディアのひとつとして米紙「ニューヨーク・タイムズ」を挙げています。

確証バイアスの罠

そもそも、私たちは自分の信じたいものを無意識に探し出し、意味づけをして自らを納得させる生き物です。『ニュースダイエット』では「確証バイアス」という人の習性についても触れています。

 

3、6、9、12……

 

この4つの数字が並ぶと、次に「15」と思い浮かべる方も多いかもしれません。

しかし、これらは単に数字の羅列に過ぎず、別に次の数字が0でも100でも良いわけです。ですが、私たちの脳は、目の前に並べられた事実を勝手に繋ぎあわせ、意味づけをしてしまうのです。自分が設定した「マイルール」に則って。

2+2=5の世界はいとも簡単に

言ってしまえば、私たちの脳には“小さな独裁者”がいます。自分が信じたいこと(イデオロギー)に賛同する情報を好んで取り入れて、自分が信じたくない情報は排除するのです。

そして、インターネットはこの小さな独裁者にとってこのうえなく便利な存在です。自分が信じる情報を一度閲覧すれば、あとは勝手にアルゴリズムがあなたの気に入りそうな情報をピックアップし、目の前に運んできてくれます。

さらに、自分と同じ考えを持つ人たちだけで集まることも簡単です。こうして、どんどん思考が強化され、自分とは異なる考えに触れる機会がなくなってしまう。「2+2=5*」という世界をいつの間にか「唯一無二で正しい世界」だと信じてしまう。そんな状態です。

私自身、信条に関わらず、SNSでは右派から左派まで色々な知識人をフォローしています。というより、自分の信条はそこまでなく「ああいう意見もあればこういう意見もあるよね」という状態でいいと思っています。

自分が何かの専門家でもない限り、意見なんて要らないと。これはドベリの考えですが、深く共感しました。

※「2+2=5」の出自はジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984』。いまこそ読み返したい傑作だ。
YouTube動画はUKバンドのRadioheadが同作をモチーフに製作した楽曲。

成人の半分がニュースに苦しんでいる?

最後に、この本に書かれていたなかでいちばんショッキングだったのが、「ネガティブなニュースは個人の心配ごとを深刻化」させるということ。

米国心理学会が行った調査が書籍では紹介されており、「全成人の半分がニュースの消費を原因とするストレス症状に苦しんでいる(p.101)」と書かれています。

これは大きな盲点でもありました。ここ最近、プライベートであった悩みごとを深刻に捉え過ぎている自分に気がついたのです。

脳は既知の情報よりも新しい情報に強く反応するそうです。そして、ポジティブな情報よりもネガティブな情報に反応します(これをネガティビティ・バイアスと呼ぶそうです)。

ネガティブで注意散漫な奴らの「末裔」

かつての人類を思えば、新しい情報は自分たちの生存(食糧や安住の場の確保)に直結しました。そして、ポジティブであるよりネガティブであるほうが、無茶をするリスクも減り、生存率は高まりました。人間は「注意散漫でネガティブな奴らの子孫」だと思う次第です……。

つまり、誰も知らなくて、衝撃的な情報のほうが人の脳は興奮状態になるので、メディアもこうしたニュースを好んで取り上げます。注意の資源が集まれば集まるほど、それはお金に換金できるからです。

常に不安を煽るニュースに触れ続ければ、脳は頻繁に警報を発するようになるでしょう。脳の扁桃体という部分はまさに火災報知器のような機能*を果たしています。ストレスがかかると「闘うか逃げるか」のモードに切り替わります。とにかく命を守るための厳戒態勢に入るわけですね。

捕食者から逃げるときなど、かつてはストレスというのは極めて一時的なものでした。しかし、慢性的なストレスが続くのが現代です。このような状態が続けば、当然心身は徐々に燃え尽きてしまいます。

そして、「ネガティブ」は伝播しやすいとされ、特に若い世代ほどネガティブな感情は顕著に広がりやすいという研究も。これも、私たちの進化の過程を考えれば、無理ないことなのかもしれません。

※扁桃体のメカニズムについて、くわしくは『スマホ脳』(新潮新書)や『最高の体調』(クロスメディア・パブリッシング)を読んでみてください。

情報疲労を癒す「休む」環境づくりを

私は、新しい生活様式には「新しい休み方」が必要だと考えています。つまり、新しく断続的にやってくる情報で疲れた脳を癒すことです。

筋肉を酷使すれば怪我につながるように、私たちの脳も酷使すればその働きは低下してしまいます。

ですが、ご説明の通り、脳は新しい情報が大好きです。ネガティブな情報にも強く反応してしまいます。

だからこそ、「気合いで見ないようにする」とか「単にニュースメディアを忌み嫌う」ことに意味はないと感じています。

これは私が講演でいつも伝えていることなのですが、大切なのは「やる気ではなく環境作り」です。

大切なのはスマホとの距離感

多くの方がいま、スマートフォンから情報を得ていると思います。まずはスマートフォンとの向き合い方を考えてみましょう。

ふと手があいたとき、いつもニュースアプリやSNSのアプリを開いてしまうという方は一度アンインストールしてみるのも手です。驚くほど、ふだんの生活に支障がないことがわかると思います。

ニュースもただ何気なく眺めてしまうのではなく、栄養価のある情報を意識してバランス良く摂取する意識が大切です。

私自身、仕事でニュースアプリもSNSアプリも使いますが、休暇のときはすべてアンインストールしてしまいます。また、ふだんは「お休みモード」にして一切の通知が鳴らないようにしています。何か作業をするときや誰かと話すときにはスマホを手元に置くことはしません。

電車の中、食卓、寝室、お手洗い……。これらの場所にスマートフォンを持ち込んでいる方は、ぜひ一度その時間だけでも手放してみてください。

特にお子さんのいる家庭においてはテレビから情報を垂れ流し続けることは避けましょう。また前述した通り、ニュースの消費で自分にストレスがかかれば周りにも影響を及ぼしかねません。

守るべきは自分であり、体だけでなく脳を休めること──これがいまの時代に強く求められるスキルなのではないでしょうか。

本記事で紹介した書籍

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執筆者:森下彰大

デジタルデトックス・ジャパン理事の森下彰大の写真

一般社団法人日本デジタルデトックス協会理事。メディア編集者。海外の論考や調査をもとにデジタルウェルビーイング(デジタルと人間の健康な関係づくり)を専門に企業向けの講演やプログラム開発などを行う。

日本初のデジタルデトックスをスキルとして学び伝えられるようになる「デジタルデトックス・アドバイザー養成講座」主宰。